2012年11月7日水曜日

プラスに変換

最近、色々な講演会や、研修会に参加して、学びそして気づきをたくさん得ています。
やはり学ぼうとすることで気づきは得られるものだとあらためて感じています。

さて、
皆さんは日常生活の中で否定、批判、非難、マイナス評価などが入った会話をよく使っていませんか。
これらのマイナス語、ネガティブ会話はどうも人を楽しくさせません。
話を聞いていても話していても当然やる気は出ないわけで、いやな気持ちにさせたり、仕方なく行動させたり、実際にはあまりよい効果は期待できません。
しかし、こういう言い方に慣れてしまい、あまり深くも考えずに無意識に使ってはいないでしょうか。

 ・はやく起きない遅刻するわよ

 ・宿題しないと先生に怒られるわよ

 ・そんなに食べてお腹こわすわよ

 ・どうせすぐに飽きるでしょ

 ・そんなことしちゃダメ

 ・また無駄遣いして

 ・どうなっても知らないわよ

決して相手の気分を損ねようとして言っているわけではありません。
相手のためを思って言っているのです。
それなのに相手のためになっていない。不思議ですね。

いまの言葉をこんな風に変換してみましょう。どう聞こえますか?

 ・はやく起きるといろんなことができる

 ・宿題終わらせるとどんな気分になる?

 ・すごい食欲ね。残さず食べるとうれしいな

 ・大切に最後まで使ってあげて

 ・そのままやるとどうなる?

 ・何のために買うの?

 ・このままだと心配だよ

変換するポイントはいくつかあります。
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①未来を意識する
(できたとき、なったときなどプラスの未来をイメージする)

②こちらの気持ちを伝える
(「うれしい」「心配」といった感情や要望をそのまま伝える)

③問いかけてみる
(本当はこちらが言わなくてもわかっているのです。自分の口で言うと納得感が高まります)
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人間は悪い方へ行くより良い方へ行きたいものです。
悪い方へ行かせないような言葉がけより、良い方へ行きたくなる言葉がけを意識してみてください。必ず変化が出ます。


ネガティブな言葉は〝不安〟〝不満〟など〝不〟の気持ちから出てきます。
不安や不満がいけないことではありません。
その気持ちを放置せず、そっと受け止めてから言葉にしてみてください。

それだけでも優しいプラスの言葉が生まれてくるでしょう。

2012年9月11日火曜日

立場を変える

先日、息子とこの話(表題)をしました。
今、息子はポケモンカードに夢中です。
最初のころはポケモンカードを使って相手と戦うこと、勝つために工夫することを楽しんでいたように見えたのですが、最近は対戦に有利な強いカードやレアカードと呼ばれる特別なカードを欲しがり小遣いを無駄に使っているように感じました。

 「今、ポケモンカードの何が楽しいの?」 とききました。

 「バトルすること……」 と息子。

 「前よりは誰かとバトルするのが少なくなっているように見えるけど」とさらにきくと、間をおいて
 「いいカードを持っていると、気分がいいし……」 (間)

 「そうか。それで新しいカードを買いたいんだ」  
(略)

ポケモンカードにはどんどん買わせたくなる仕組みがあります。
次から次へと強くて見た目がカッコいいカードを出し、『こんなカードも出たよ』と宣伝します。子ども達は人より早くそのカードを手に入れたくなります。

しかし売っているカード(5枚一組150円)は中が見えなくて欲しいカードが入っているかはわかりません。入っていないと、「今度こそ」とついつい買ってしまうわけです。

そこで、こんな話を
 「立場を変えてみようか?○○はいつもは買う人だ。じゃぁ、作る人になって考えてみよう。作る人はドンドン買って欲しいよね。でも同じカードだけ作っていても売れなくなっちゃうから新しいかっこよくて強いカードを作る。少しずつ強くてかっこいいカードを作っていけば、子ども達は次々と欲しくなって買ってくれるよね。」

 「うん、、、、、、、でもそれってずるくない?」

 「ずるくはないよ。それは作る人の売るための工夫なんだよ。でもそうした工夫があるってことを知るとどう?」

息子はそのまま黙って考えています。でもそれは困って黙っている風ではありません。一生懸命考えを整理している感じです。

 「これはポケモンカードだけじゃないんだよ。例えばお店でAとBのジュースがある。Aの方が利益が大きいとすると、お店ではAの方を売りたいと思うよね。そのために
 【新発売のおいしいジュースです!
て大きく書いて目に付くところにAを置くと、Bを買おうと思って来た人も思わずAを買ってしまう。でも買って飲んでみたらやっぱりBの方がよかったってこともある。これはだまされたってことではなく、売る人の工夫に気がつかなかったってことなんだ。どう?立場が変わると考えが変わって、それを知ってるかどうかで色々と差が出るんだ。」

 「そっか」言い聞かせるようににうなずいてます。

 「サッカーだって、自分の立場でしかプレーしないのと、味方の他の選手の立場、相手チームの選手の立場を考えてプレーするのとではどうだろう?」

 「相手のことを考えてパスとかできる」

表情が変わりました。色々と考えて気づいたことがあったようです。


その後、別の場面で息子の口から
 「○○なら・・・」
という自分と違う立場の人に立った言葉も聞けました。とてもうれしかったです。

人は様々な立場で生きています。
しかし、それぞれの立場の時にその立場でしか考えられないことがよくあります。

これから自分の責任で生きていく中で、色々な立場に立って考えられることはますます大切だと思います。

2012年7月18日水曜日

続ける

NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組が好きです。

7/16の回も刺激をいっぱい受けました。

小学校教師 菊池省三 学校の先生の回でしたが、「ゆるぎない信念」、「見守る強さ」、スゴイ!

自分はどうだろうか?自問してみました。




この番組に出てくる様々な分野のプロフェッショナルたち。

そこには共通点があります。

この番組の最後に

プロフェッショナルとは

とその人に聞くシーンがあります。

どの人も「私」のことを言っているわけではありません。

それぞれが目指すプロフェッショナル像を語っています。

そしてその一つのキーワードが『続ける』ということです。

多くのプロフェッショナルたちが

「~し続ける人」
と口にします。

それだけ、『続ける』という行為が難しいものなのだと思います。


確かに、私は長続きしていません。

悲しいことにずっと続けていることが思い浮かびません。

やってきたことといえば:?::?::?:
「食べること」「寝ること」・・・:ase:

そう
「生きること」

自分の信念のもとに生き続ける

これからも続けていきます。

プロフェッショナルを目指して!

2012年5月28日月曜日

わからない喜び

わからないことに直面した時、どんな気持ちになるでしょうか。

 「不安」
 「くやしい」
 「悲しい」
 「イヤだ」
 「恥ずかしい」
 「どうしてわからないんだ(自分を責める)」
など、いわゆるマイナスの感情が出てくるのではないでしょうか。
 特に子どもたちを見ていると、このようなことを顕著に感じます。
わからないで落ち込む子、泣く子、不安そうな子みんな様々です。
 わたしは
 「わからなくてもいいんだよ」
 「これからわかるようになっていくから大丈夫だよ」
 「誰でも最初はわからないんだよ」
などと、声かけをしてきましたが、反応は様々で正直言って自分の中でしっくりきていませんでした。
 そんな中で「わからない」ということを自分なりに色々と考えてみて出てきた答えが「わからない喜び」ということです。

 わからないことがわかると当然うれしいものです。
 苦労して自分の力でわかったときにはそのうれしさも倍増します。
 つまり、わからないということは、「わかる喜び」を得るチャンスでもあるわけです。

 わかるときでもすぐにわかったときは
 「あっ、そうか」
で終わることが、苦しんでわかったときは
 「あー、そういうことか、なるほど!!
と強い納得感と喜びになります。

 わからないこともそのハードルが高いほど、あとの喜びは大きくなるのです。
 わからないことは良いこと、わかるチャンスがあること、わかるという大きな喜びが待っていること、わからないからこそ次の成長が生まれること。
 これからは「わからない喜び」を子ども達に伝えていこうと思います。
 おとなはわからないことがあっても「まあいいや」とあきらめるような場面があるかと思います。
 でも子ども達にはそれがありません。
 わからないことはわかりたいという人間本来の欲求をしっかりと持っています。
 それはすごいことです。

 わたし自身もわからないことをわかりたいという欲求をしっかりと持ち、その上で子どもたちが本当の「わかる喜び」を手にできるようサポートしていきたいと思います。

2012年4月26日木曜日

感情的でいい!

「感情的」という言葉にどのようなイメージをもたれますか?

私は、

・喜怒哀楽が激しい

・すぐに熱くなりやすい

・気が短い

・子どもっぽい

こんなイメージがあり、決していいイメージでは使わない言葉でした。

小さい頃から誰に言われたという感じではないのですが「感情的になるな」というようなことを意識していたように思います。
自分の中でよくないイメージがありますから、当然自分でもそうならないようにするわけです。

そうしているうちに感情というものじたいをあまり表に出さず、何事も冷静に考えてから、理論的に(はたからは〝屁理屈〟としか見られていなかったかもしれませんが)話をするという癖を身につけていきました。

私が教育コーチングを学んでいて気づいたことのひとつに『感情的でいいんだ』ということがあります。
人間は感情の生き物なんて言葉もあるように、誰もが個性豊かな感情を持っていて、思考や行動に無意識に大きな影響を与えています。実はこんな私も感情のかたまりです。(^ ^v

しかし、おとなになるにつれてその感情を無理にコントロールしようと頑張ってきました。

 「こんなところで怒っては大人気ない」

 「イライラしているところを見せたくない」

こうしてどちらかというと、ネガティブな感情を抑えていくうちに

 「うれしいからといって、あまり喜ぶのもいかがなものか」

とポジティブな感情までも抑えるようになっていました。

しかもこれらは習慣化されていき無意識にそうしているのです。自動的なんです。(‐.‐;

でも本当は抑えようとして抑えられるものではないんですね。
抑えようとするとやはり反発してくるのです。
そして抑えきれなくなると爆発します。
振り返ってみると1年に一回ぐらいは大爆発をしていました。f(^ ^;
堪忍袋の緒が切れるとはまさにこのことです。

私は感情的なことが悪いことではなく、感情は勝手にはどうすることもできない、でも大切な自分自身であることが分かりました。

今、私はできるだけこまめにそのときの気持ち(感情)を伝えるようにしています。
そうすることでストレスも少なくなり、爆発しなくなってきました。
大切な私自身の感情だからこそしっかりと伝えたいと思います。

良くないのは〝感情をぶつける〟こと。
大切な感情を人にぶつけては相手どころか自分自身が傷ついてしまいます。

今回は、私自身のことを書きましたが、「感情的」をよく思っていない方は参考にしてみてください。

「感情的」OK!

感情を、優しく、大切に、素直に、伝える。

それでいいと思います。\(^o^)/

2012年3月18日日曜日

県立入試問題について ~各教科~

 まずは、新聞でも話題になった数学から

高校によっては20点以下続出の高校があったと思う。
特徴は
・苦手な生徒の多い空間把握が問われる問題が多く、答えが美しくないことが上げられる。

これは私見だが、数学とは美しいものだと思っている。
〔難しそうな問題も解いていくとあれよあれよという間に整理されていき、最後は非常に分かりやすいすっきりとした答えになる。〕
こういう問題は解いていて楽しいし解いたという実感がわいてくる。
答えが出た瞬間にあっていると確信できるような達成感のある問題こそ良問だと思っている。
今年の解答には
 
 
 
といった美しくない数字が並ぶ。
一所懸命解いてこの答えでは達成感は乏しい。
また、新聞でも取り上げられた問2の(1)はあとの設問からやったほうが簡単に解けるという今までに見たことのない問題である。
また、問4の(2)①のようにその答えに意味を感じない設問もあり、解いて正解だった子より勘で当たった子の方が多かったのではないかとも思える。

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理科は
多くの単元があり、試験ですべての単元を問うことはできないため、
単元については何年かに一度の頻度で出題される傾向であるが、
今年は昨年に引き続き出題された単元が3つほどあり、極端にヤマを張った人は
ヤマが外れたということになったと思う。
逆に言うとその単元は来年は出題する側も非常に出しにくくなってしまった。

さらに第一分野、第二分野の両方で深く扱う酸素と二酸化炭素に関する問題が
一問も出題されなかった。
中学では酸素・二酸化炭素に対する理解が非常に重要だと思うので
このことに触れなかったのはどうかと思う。

さらに計算問題で0.3という答えと1.5という答えがそれぞれ同一設問中で続いたのは
子どもをおおいに戸惑わせたと思う。
本当に自信のある子なら問題ないと言うことだろうが、
初めての舞台で緊張している子どもにとって同じ答えが続くのは、
どちらかが間違っているのではと不安になったことだろう。
高校入試としては敢えて同じ答えを続けるのに何の意味があるのだろう。

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国語はとにかく「書き抜き」を含めて記述問題が多かった。

そして小説を題材にした問題は、「問題」を感じた。
国語の問題とはいえ、必ず客観的に正解と判断できる材料がなければならないがあの
私にはそれが乏しいと感じた。解答に出題者の主観を感じてしまった。
また、心情を問う問題で「適切でないもの」を選ぶものが2題あった。
四択から適切でないものを選ぶということは、その文脈から3つも心情がよみとれるということ。
1つの文脈からいくつもの心情を読み取れるものを出題することのはどうだろう。
やはり客観的に正しい心情と説明しづらい選択肢が混在していた。

記述が多いということは、採点する高校側も大変だったことと思う。

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社会も解答に疑問を感じるものがいくつか見られた。

問1の(1)ではオーストラリアの中央部が人口密度が低いことを
「降水量が1年中少ないから」
としているが、他の選択肢と比較しての消去法でいくとこの答えになるが、
これだけとは言い切れないので、この問題を通してそれだけと思う子どもが出てしまう恐れがある。

問4では「製造物責任法」を答えさせる問題で漢字で答えるようになっている、一般的に使われているPL法ではだめで製造物責任法でなければいけないのか理解できない。おそらく問題資料の出典に「家電製品PLセンター資料より作成」となっているためと思われるが、難易度を上げるための問題と思われても仕方ない。

全体として非常に細かい点に着目している問題や解答の選択肢が多く、平均点は下がっているだろう。

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いよいよ、あすは合格発表である。
子どもたちに笑顔があふれることを祈っている。
そして各教科の平均点が気になるところである。

2012年3月15日木曜日

県立入試問題に一言 ~全体として~

今年の県立入試問題について、今日の信濃毎日新聞にも出ていましたが、数学に限らず全体として難しい教科が多かったように感じます。

平均点としては英語が例年並で、それ以外の教科は平均点が低いと思われます。

普段のテストより点数が上がっている子はほとんどいなくて、どの子も不安一杯です。
卒業式を不安だらけで楽しく迎えられないのは本当に残念です。


最近の子ども達は塾に通う子も増え、模試など試験問題に触れる機会が増えている傾向はありますが、それでも多くの子は学校で行われる定期テストや総合テストだけでテスト体験をしています。そして、学校のテストでは今までの入試傾向を意識して作っているはずです。今回のように大きく傾向を変えたことには疑問を感じます。

今年の試験はどの教科も今までの設問形式とは大きく変えてきました。
確かに新指導要領をはじめとして国際的な学力傾向を意識して、思考力、考察力、読解力、まとめる力、組み立てる力などに重点を置き始めてはいますが、学校現場ではそこまで行っていないのが現状でしょう。学校で行われているテスト問題を見ていれば分かります。

どの教科も記述式の問題が増え、まぐれ当たりはなくなりました。しかしながら選択式でも選択肢が文章であれば読み取る力も問うことができます。意外と4分の1のまぐれ当たりなど少ないのです。
それ以上に、記述式の問題は時間がかかり子ども達にはプレッシャーとなります。子ども達は焦ったと思います。

テスト問題を評価する時に平均点のことが注目されますが、もう一つ重要な視点があります。
それは個々の問題の正答率のバランスです。
良いテストは平均点を中心にして得点の分布がきれいな山になります。
これはテスト問題を作るときに正答率がほぼ100%の問題から数%の問題までをバランスよく配置することです。こうしないと得点分布の山が2つ3つとできてしまい、似たレベルの子が受ける入試の様な場合には、それぞれの高校で得点が一極に集中して1点に泣く子が増えてしまうのです。

私が大手テスト会社でテスト問題に携わっていた時には、今までに実施した問題のデータベースを基に一問一問の正答率を予測し、正答率のバランスを考慮して一問一問の正答率を調整して、求められる平均点になるようにテストを作っていました。同じ問題でも言い回しを少し変えるだけで10%くらいの正答率は変わります。そして、結果が予想平均点から5点以上ずれると営業から文句が来たものでした。
今回のテストの得点分布はどうなるのでしょう?


県立の入試問題は全国に公開されますので、全国の現場の教育関係者の目にさらされます。
特に新学習指導要領の移行時期などは注目されます。作成者も力が入ったことでしょう。

テスト問題作成には県内の優秀な先生が何人もチームになって作ると聞いています。
教科へのこだわりをもつ優秀な先生ほどついつい、学問の専門家としての視点が強くなってしまい、学問的には面白い問題でも、現場の状況に即してみたり、初めて合否が進路を大きく左右する試験にのぞむ子どもたちの感情に即してみると良い問題ではない場合があります。

【子ども達に本来の力を存分に発揮させられる問題】

そんな原点に立ち返ってもらいたい。子どもたちを預かる一教育者としてお願いしたいところです。

2012年3月13日火曜日

国語力を高める

よく、算数や数学ができないといらっしゃる親御さんから

「計算問題はできるんですが、文章題が・・・」

「うちの子は応用問題が苦手で・・・」

といった声を聞きます。



実はこれ、算数や数学ができないのではありません。

国語力が不足しているのが原因です。

お話を聞いていくと、理科や社会なども問題文が長いものは苦手なのがわかってきます。

長い文章を理解する力、いえ、それ以前に長い文章を見たとたん解く気が失せているような状態になっているのです。


わたしが最近感じてきたのは、子どもたちの国語力の低い子が多いことです。

学校でも読書に力を入れていて、子ども達はそれなりに本を読んでいます。

ところが
『読書好き=国語力がある』
ではありません。

どうしてか?

それは読書をしても読みっぱなしで、自分の主観による「楽しかった」、「面白かった」、「せつなかった」、、、で終わっていることが往々にあるからです。

実は国語力には【客観視】する力が必要なのです。

論理的思考力は数学で養えますが、論理的理解力は実は国語の領域です。

どうでしょう?
国語を誤解してはいなかったでしょうか?

国語には
色々な本を読み、様々な感情に触れて感性を豊かにする主観的な面と、文の構成や表現方法を理解し読み解き分かりやすく伝える客観的な面があるのです。

そして、いわゆる入試などの試験で問われるのは客観的な力なのです。

どうしてか?主観は客観的評価ができないからです。


いっぽ塾では、文章・文の構成を理解し特定の言葉を用いた文章を書くことにより読解力を鍛えていきます。
文章がどのようにできているのかを体験することにより、体系だった文章を読み解く力がつき、客観視する力がついてきます。

是非、いっぽ塾の【文章教室】に来てみてください。

お子さんの作文や日記は
 今日、○○○をしました。・・・・・・・楽しかったです。
になっていませんか?